American music

アメリカにおいて、音楽のもつ意味をもっとも強く決定づけているのは、音楽と人種の関係であると言えます。ヨーロッパ音楽とアフリカ音楽というまったく異なった源泉からブラックミュージックのアイデンティティが確立された過程は、歴史的研究における恒常的なテーマのひとつです。 .

植民地時代における、西アフリカ全体のスタイル・歌唱法・楽器が奴隷のるつぼの中で混合されていった時期のブラックミュージックについてはほとんど文献が残っていません。19世紀中頃には、すでにアメリカ黒人の民俗的な伝統は広く有名になっており、ブラックミュージックのスタイル・楽器・イメージは、スピリチュアルやミンストレル・ショーや労働歌を通じてアメリカ音楽の主流の一部になっていきました。ブラックミュージックの技法は、ブルース、ジャズ、リズム・アンド・ブルース(R&B)、ロックンロール、ソウルミュージック、ヒップホップなどを通じ、アメリカのポピュラー音楽にとって不可欠な要素になっていますが、元々は黒人の技法や慣習の中で作られたものが人種の壁を越えて広がったものです。これとは対照的に、カントリー・ミュージックはアフリカ、ヨーロッパ、さらにはインディアンやハワイの伝統をもその起源に含んでいましたが、しかし長い間白人音楽の一種と考えられてきました。

アメリカ音楽の創作・享受には経済的・社会的な階級による溝があります。例えば交響楽には上流階級のファンからの出資があるのに対して、田舎風・民族風の民俗音楽の奏者は全体的に貧しいといったようなことです。とはいえこの分断は絶対的なものではなく、時には溝があるように「感じられる」だけという場合もあります。例えばアメリカのカントリーミュージックは、「聴いているのが実際に労働者であるかどうかはともかくとして、労働者階級のアイデンティティに訴えかける」ようにデザインされた、ひとつの商業的ジャンルでもあるのです。カントリーミュージックは地理的なアイデンティティとも関連しており、その起源と役割は特に田舎風となっています。R&Bやヒップホップといった他のジャンルは、伝統的に都市的だと認識されています。

初誕生祝い

無事に出産を終えたお母さんは、我が子の誕生に目を潤ませ、痛みや辛かったことも一瞬で吹き飛ぶものです。出産が大変で体力の消耗が著しいとしても、退院後は育児に追われる生活が待っています。初めての出産なら、なおさら育児に不慣れな母体は疲労困憊してしまいます。
誕生祝いは、うまれた赤ちゃんに向けての品物をプレゼントしようと考える人が多いものですが、出産、育児に頑張っているお母さんにこそ、アロマ用品などの癒しの品物をプレゼントしたら、お母さんだけでなく、夫であるお父さんにも喜ばれます。母体が心身共に健康でないと、丈夫で健康な赤ちゃんも育ちません。
そうはいっても、初めてのお子さんの場合、ご夫婦にとってもベビー用品の準備は不十分です。退院後とりあえず使用するベビー用品は揃えていたとしても、生後半年以降の物は不十分な場合が多いものです。生後半年から12ケ月くらいに着用できる洋服や、歩き出して初めて履ける記念になるファーストシューズなどを贈ると大変喜ばれます。洋服や靴は好みがあるので抵抗があるという場合は、毎日必ず使用するオムツなどの消耗品も喜ばれます。

音楽で祝う白寿祝い

99歳のお祝い『白寿祝い』の歴史と由来

白寿は99歳のお祝いです。昔は人の寿命が今よりずっと短かったことは、皆さんもご存じでしょう。そのため、古代中国では40歳から10年ごとに長寿を祝っていた時代もあったといいます。そうした習慣が伝わってきたのが日本の白寿祝いの起こりです。その後、平均寿命が延びて行くとともに、77歳=喜寿からの長寿祝いが日本で独自に発生。白寿もその一つです。ただし、その習慣が定着した時期については、実のところはっきりしていません。ただ、70歳の古希祝いが発生したのが室町時代と推定されていますから、それ以降であることは確かでしょう。

白寿祝いに贈りたい白いプレゼント

白寿祝いに送られる物は、白寿祝いというだけあって色の白い物を渡す習慣があります。還暦には「赤いちゃんちゃんこ」を贈るのが一般的と言われていますが、白寿には「白いちゃんちゃんこ」を贈るのが一般的です。白いちゃんちゃんこに白い扇子や帽子などを合わせて送る事が昔は多かったそうです。白寿祝いには白いちゃんちゃんこを着てもらって祝い、白寿の記念に写真を撮るのがいいかもしれません。ついでに白寿祝いとして新潟の純米酒をプレゼントすればとっても喜んでもらえると思います。

白寿のお祝いに関しては、白い着物の他、記念のギフトを贈る人も多いです。お酒の好きな人には、お祝いの言葉を書いた新潟の純米酒はどうでしょうか。酒飲みやとっくり、などもプレゼントには最適です。99才まで生きた先人に敬意を表し、素敵なお祝いになることをしてあげてください。白寿祝いとして新潟の純米酒をプレゼントすればとっても喜んでもらえると思います。ついでに白いちゃんちゃんこを着てもらって祝い、白寿祝いには白寿の記念に写真を撮るのがいいかもしれません。また、音楽好きな方には演奏会やコンサートに招待するのもおすすめです。家で聴けるおすすめのCDを贈るのもいいかもしれませんね。

音楽で祝う還暦祝い

お世話になった上司に感謝の気持ちを込めて・・・

労働者が一定の年齢に達すると自動的に雇用関係が終了する制度を定年制といいます。2011年現在は、定年を60歳から65歳に引き上げている段階でありますが、1970年代は大企業であれ55歳が定年退職でした。会社が定年制を導入するには、定年に関する事項を就業規則に明記して、かつその定年制が慣行的に行われている必要があります。日本の企業の正社員と公務員は、その大部分が定年制を導入しています。一方で適用している会社は少ないですが、定年を定めないことも可能です。最近では65歳が定年の企業も増えてきていますが、いままでの定年年齢である60歳は 『還暦』と呼ばれています。

「還暦には赤いちゃんちゃんこ」という習慣もまだまだ残っていますが、さすがに長寿社会の今となっては、これらに抵抗のある方も・・・。しかし、だからといって赤い色にこだわる気持まで忘れる必要はありません。もともと、赤いちゃんちゃんこや頭巾をかぶる習慣には、暦が一巡りして最初に戻る=赤ん坊に戻るという意味合いがありました。同時に赤は、神社の鳥居などを見てもわかるように「魔除けの色」。新しい人生を災いなく過ごし、もっともっと長生きしてほしいという願いが、この赤い色に込められてきました。加えて最近では、赤色は情熱の色、積極性や行動的な心を起させる色という考えもあります。つまり現代社会の今も赤色は、「元気で長寿」の願いを託すことができる色なのです。だから、赤いスカーフや赤いブラウス、シャツ、バッグや小物の赤など、現代に合ったかたちの赤色のプレゼントを選ぶのが最近の傾向。お世話になった上司の還暦と定年のお祝いには「赤」の付く地名のところへの旅行のプレゼントがオススメです♪また、音楽好きの方にはおすすめのCDやクラシックコンサートのチケットなども喜ばれます。音楽をプレゼントして素敵な還暦祝いの思い出を♪

還暦の歴史と由来

還暦とは、干支(十干十二支)が一巡し、起算点となった年の干支にふたたび戻ることをいいます。通常は人間の年齢について言い、数え年61歳(生まれ年に60を加えた年)を指します。60年で干支が一回りして、生まれた年のえとに戻ることから、”還暦”というようになりました。別名『本卦還り(ほんけがえり)』ともいいます。

還暦を祝う習慣が日本で始まったのは飛鳥時代とも奈良時代とも言われ、当時の中国の地から伝わったとされています。当時、日本は遣隋使や遣唐使を送り、大陸のさまざまな文化を取り入れていました。その中に、還暦と大きく関係する「干支」や、還暦を祝う習慣もあったのではないかと考えられています。

23歳が「60歳になっても」と歌うラブソング

「60歳になっても一緒にいたいんだ 」。このセリフだけを聞けば、60歳未満の人の言葉とわかるのは当然のことですが…未満も未満、このセリフ、いえ、歌詞として歌ったのは23歳の青年です。その正体は「EG」というシンガーソングライター。2010年夏に初リリース(=デビュー)し、題名もそのまままの「60歳になっても一緒にいたいんだ 」をリリースした時点でまだまだほやほやの新人です。若い男性らしく、この歌はラブソングなのですが、それにしても「60歳になっても…」とは、ラブソングらしからぬ題名です。なんだか恋が冷めてしまいそうにも思えますが…その実、この曲、ラジオやネット上などでじわじわと人気を上げてきつつあります。改めて歌詞を見てみると、なるほど「60歳」の言葉がステキに生きている歌です。「60歳」に対するこんなとらえ方もあるのだなと微笑みたくなるこの歌、60歳の立場で聞いてみるのもなかなか楽しいかもしれませんし、意外に新鮮な還暦祝いになるかもしれませんね。

Music of East Timor

東ティモールの音楽はポルトガルとインドネシア双方の支配下にあったことを反映しており、ガムランやファドのような音楽を輸入しています。土着の民俗音楽の中で最も広まった様式はリクライのダンスであり、戦争後女性が男性を家に歓迎する際に披露されました。小さな太鼓としばしば敵の頭を村を通して行列して運び、現在のヴァージョンでは女性によって求愛のために行われます。

東ティモールのポピュラー音楽家にはオーストラリアで育ち、音楽に故郷の民俗リズムを用いるテオ・バティステ・シメネスが挙げられます。多くの東ティモール人のコミュニティがオーストラリアやポルトガルやその他の地域にあるため、東ティモールの民俗音楽は世界各地にもたらされています。ポルトガルの難民キャンプでは、東ティモールの音楽はアンゴラやモザンビークのような他のポルトガルの植民地からのスタイルと混合しています。ギターは入植者によって導入されましたが、長らく東ティモールの音楽の中で重要な部分を成していました。しかしながら土着の擦弦楽器もある点ではギターと似かよっていました。外国の影響はロックンロール、ヒップホップ、レゲエなどのようなポピュラー音楽の形式の中にも表れています。歌詞は東ティモールの公用語のテトゥン語かポルトガル語で歌われます。

Music of Equatorial Guinea

赤道ギニアの文化は、他の多くのアフリカ諸国のそれよりも記録されており、商業録音は不足しています。これはこの国のサイズの小ささと人口が約670,000人しかいないことに部分的に基づいています。赤道ギニアはカメルーンとガボンの間の一片リオ・ムニ、カメルーン付近の島ビオコ島、本土から遥かに離れた大西洋上のアンノボン島と、三つの旧スペイン植民地から成っています。赤道ギニアの国歌はアタナシオ・ンドンゴ・ミヨネによって書かれ、国家がスペインから独立した1968年に採用されました。

Folk-customs music of Equatorial Guinea

最大の民族はファン人ですが、多数のブビ人と少数のビシオ人、ブイエバ人、ンドウェ人、コンベ人、そしてアンノボン島民が存在します。ファン人はツィターとハープをクロスしたムベトで知られます。ムベトは15のコードにまで及んでいます。この楽器の準球状の部分は竹から作られ、弦は繊維によって結び付けられています。ムベトによる音楽はベボム・ムベト社会に手ほどきを受けた記譜法によってのみ書かれています。音楽は典型的なリフレイン形式を伴ったコールアンドレスポンスと太鼓の交流によります。エイ・モアン・ンドングやオバマは民族様式を一般化させようとしています。バレーレーときわどいイバンガは赤道ギニアの舞踊の中で特筆されるべき二つであり、これらの多くはサンサ、シロフォン、太鼓、ツィター、バウ・ハープなどの楽器から成る3人か4人の楽団を伴います。もう一つのポピュラーな楽器は獣皮で覆われた木の箱、タム=タムです。この中央では、竹のキーが音楽のスケールを完全にするためにインストールされています。第二の様式のタム=タムは音楽キーのレベルが二つ違い、一般的に、木製楽器は動物の画像と幾何学的な絵で装飾されます。太鼓は獣皮で覆われ、動物の絵が描かれています。

Popular music of Equatorial Guinea

赤道ギニアから出てくるポピュラー音楽は少ないようです。汎アフリカ的な様式であるスークースとマコッサなどがポピュラーであり、レゲエ、ロックンロールも同様です。スペインのモデルに基づいたアコースティックギターバンドは国で最も良く知られたポピュラーな伝統であり、特にデスマリ・イ・ス・グルポ・ダンボ・デ・ラ・コスタは国民的スターです。赤道ギニアの他のミュージシャンには、マラボ・ストリト・バンド、ルナ・ロカ、チキティン、ダンボ・デ・ラ・コスタ、ンガル・マドゥンガ、リリー・アフロ、そしてスペインを拠点にしたスペール・モモ、イハス・デル・ソル、バロン・ヤ・ブク=ルなどが挙げられます。

Music of Republic of the Congo

コンゴ共和国は、隣国であるコンゴ民主共和国と密接な音楽的繋がりを持ったアフリカのネイションです。コンゴ民主共和国で生まれたポピュラー音楽であるスークースは国境を越えてポピュラーであり、ニノ・マラプやジャン・セルジュ・エッスーのような両国のミュージシャンはこの地域全体を流動的に移動してよく似た様式の音楽を演奏しています。ブラザヴィルは1990音代後半の危機まで主要な音楽シーンを擁しており、スークースと他のコンゴのポピュラー音楽の様式の発展に不可欠の役割を果たしたBantous de la Capitaleのような、ポピュラーなバンドを生み出しています。ヒップ=ホップグループの”Bisso na Bisso”もまたコンゴ出身です。コンゴ共和国の民俗楽器にはシロフォンとmvetが存在します。mvetはツィター=ハープの一種であり、アフリカ、アジア双方の別の場所でも似たような様式が散見されます。mvetは1つまたは2つの瓢箪を共振器として、長い管から製作されています。

soukous

スークースはコンゴ民主共和国のポピュラー音楽と密接な結び付きを持っていましたが、キンシャサとブラザヴィルの二つのローカルなシーンでの初期のスークースの発達は非常に重要な役割を果たしました。両都市では、アメリカのオーケストラ・スタイルが伝統音楽やジャズに影響を受けたルンバを演奏しました。スークースはこのような様式の混合から生まれ、ダンス音楽として1950年代と1960年代に多数の異なったオーケストラの間でポピュラーとなりました。

Music of North Africa

北アフリカの音楽とは、アフリカ大陸の北側、サハラ砂漠以北の地域の音楽です。サハラ砂漠以南の黒アフリカの音楽様式、バントゥー系の音楽文化等とはおおまかに区別され、西アジア(西南アジア)あるいは、中東(中近東)の音楽と様式的に近い特徴を持ちます。また地中海周辺の音楽文化に属するものでもあります。一般的には国で言えば、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプトのあたりの音楽を指します。

Music of Maghreb

マグリブの音楽は、また、アラブ・アンダルース音楽と呼ばれる事も多いようです。イスラームのイベリア半島のスペインへの進出により、15世紀のアンダルシア、スペインに音楽文化が花咲きました。都市としてコルドバ、有名な音楽家としてズィルヤーブが知られています。モロッコではアル・アーラー、アルジェリアではサナア、チュニジアではマールーフ等と呼ばれ、伝統音楽、古典音楽として尊重されています。

アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とするベルベル人は上記マグリブの地に住んでいますが、独自の音楽性を持ちます。エジプトからナイル川を遡ったスーダンの音楽は、アフリカ的な要素とアラブ・イスラーム音楽文化的な要素の両方を持ちます(ヌビア人の音楽)。五音音階のメロディーが見受けられる事はアフリカ的な、そしてウードの使用が見られる事はアラブ・イスラーム音楽文化的な要素と言えるでしょう。ソマリアの音楽にもアフリカ的な要素とイスラーム的な要素の両方があります。エチオピアの音楽にはアラブ・イスラーム音楽文化的な要素はあまり見られません。非カルケドン派であるエチオピア正教会のキリスト教音楽が良く知られています。モロッコから西サハラを経た所にあるモーリタニアの音楽もアフリカ的な要素とイスラーム的な要素の両方が見られます。モーリタニアの古典芸術音楽にはマカームのような音階・旋法が存在しています。

Music of Czechoslovakia

チェコ国家が形成された地域は中欧に位置しています。その歴史を概観すると、政治的には東ローマ帝国、神聖ローマ帝国、ハンガリー、オスマン帝国、ポーランドといった大国が鎬を削り、民族的にはゲルマン系集団、スラヴ系集団、マジャル人に代表される東方由来の遊牧民などが興亡を繰り広げ、宗教的には正教会、カトリック、フス教徒を含むプロテスタントといったキリスト教諸会派が勢力を争った複雑な経過をたどっています。このため、その音楽にも多様性が生まれ、アントニン・ドヴォルザーク、レオシュ・ヤナーチェクといったユニークな作曲家を生みました。

チェコは、ボヘミアとモラヴィアの2つの地域に大別されます。両者では、その民俗音楽に大きな特徴があるとされています。チェコの指揮者・作曲家のヤロスラフ・フォーゲルは、その違いを次のように述べています。フォーゲルはこうした特色を、それぞれの歴史的背景の所産としています。すなわち、ボヘミアと西モラヴィアは、ドイツとオーストリアに三方を囲まれ、14世紀のルクセンブルク王朝時代にフランスやイタリアと文化的交流が盛んに行われたのに対し、モラヴィア東部やスロヴァキアはこの時代に辺境の地であったために、それよりも古い時代、10世紀に栄え東ローマ帝国といった東方諸邦と交流の深かった大モラヴィア王国の時代の音楽を受け継いでいると推測しています。

Scotland music

スコットランド音楽とは、グレートブリテン島北部ならびに島々からなるスコットランドの音楽です。その伝統音楽のいくつかは国際的によく知られており、そのまま、あるいはスタイルを変更された形で広く好まれており、いくつかは伝わった先の土地の地の音楽と誤解されながらも愛されています。諸外国の音楽から受けた影響も数多く見受けられますが、その伝統的な特徴は色濃く残されており、多くの音楽に影響を与えてきました。特にアイルランドとは民族的に近く、交流が盛んだったこともあり、音楽的にも類似点が非常に多いようです。

スコットランド伝統音楽における代表的な楽器はバグパイプであり、同国において5世紀頃にはその原形が存在し、古くから中心的な役割を担ってきましたが、そのルーツはアイルランドであり、さかのぼれば中東にその起源があるといわれています。スコットランドでもっとも多く使われるのはグレート・ハイランド・バグパイプですが、同国には他にも数種類のバグパイプが存在しています。
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